【思い出話】青春の投影~デジタルプラネタリウムの原点~(上山治貴)

この記事は約7分で読めます。
上山治貴
上山治貴

みなさん、こんにちは。アストロアーツの上山です。今回はプラネタリウム製作をはじめた頃の思い出話をしてみたいと思います。懐かしい言葉もちらほら……?

はじめに

今やデジタルプラネタリウムの代表ともいえる「ステラドームプロ」。その始まりは今から約40年前にまで遡ります。

1980年、宮崎駿と村上春樹大好き(*1)の天文オタクだった私は、学習院大学に入学しました。早速、唯一の天文系サークルである「地学研究会」に入部したのが今回のお話のはじまり。

(*1) …宮崎駿も村上春樹も当時はマイナーで知る人ぞ知るという存在でした

星座絵投影機を作る

さて、天文系サークルということで、大学祭は「プラネタリウム投影」
その時既にピンホールプラネタリウムはあったので、新たに製作に取り組んだのは「星座絵投影機」でした。細い線で構成された星座絵をドームに投影するのですが、さてどうやって作るか―。

実は私、プラモデルマニアでもあったので、工作のような手仕事は文字通りお手の物でした。カッターの刃を2枚重ねて使うと、ちょうど刃の厚さのスリットを切り抜くことができます。そうして作った「星座絵原版」を豆電球で照らして星座絵投影機としました。

くぼた
くぼた

プラモデル作りが趣味と聞いてましたが、この頃からマニアだったんですね……!

本格的なピンホール式プラネタリウムへの挑戦

野心とともに製作を開始!

星座絵投影機の製作の楽しさに味をしめ、サークルに重点を置いた学生生活を続けた挙げ句、ついに新たなピンホール式プラネタリウムの製作に取り掛かりました。

上山治貴
上山治貴

俺が本格的なプラネタリウムを作ってやる!!(当時)

若かった私は、野心的な仕様を考えます。

  1. 直径30cmの「恒星球」を南北別々にする
  2. 6等星までの全天6000個の恒星を投影する
  3. 恒星球の回転にはステッピングモーターとウォームギアを使う
  4. 恒星球に電球を固定し、いくら回転しても問題ないようスリップリングを使う
  5. 電球は五藤光学研究所製のもの

製作は根気のいるものでした。直径30cmのアクリル半球に恒星の位置をプロットして、ピンバイスでひたすらに穴をあけます。何千個という穴あけは、一人でやりきるしかありませんでした。何度ドリルを折ったことか……。

そして、ついに大学祭初日を迎えますが、なんとまだ穴をあけてました。ドリルのみならず、心さえ折れかかりましたが、なんとか最終日には間に合いました……!

学生当時の上山治貴

回転部分の製作は、サークルの先輩にステッピングモーター周りの作業をお願いして、なんとかなりました。ここは赤道儀の仕組みと変わらないので、さほど問題なく進みました。

いよいよ投影だ!

いよいよ、大学祭での投影本番です。しかし、投影を開始するや否やドームに映った恒星全体が「またたき」ます!

くぼた
くぼた

おお、そんなリアルな星のまたたき再現機構まで……!?

そうであれば「やったー!」なのですが……。

実は、野心的に作ったスリップリングが接触不良を起こしていたのでした。模型自動車がスロットに沿って走る「スロットカー」の仕組みを採用したのがまずかったんですね。残念ながら、電球が簡単に切れてしまうのでした。そして、後輩に府中の五藤光学研究所へ何回も電球を買いに行ってもらいました。

上山治貴
上山治貴

自分では一度も電球を買いに行かなかったけれど、もし通っていたら違う人生を歩んでいたのかもしれませんね

そんなこんなで、なんとか投影にはこぎつけたのですが、ここで「もっと作ってやろう」と悔しさをバネに奮起していれば、きっと大平技研の大平さんを凌いでいたのかもしれませんね……(笑)。

くぼた
くぼた

はははっ、歴史に「もしも」はありませんけどね \(^o^)/


そうなんです。思い返せば、この本格的プラネタリウム製作がうまくいかなかったのは、私自身の計画性や技術力が及ばなかったためなのですが、若者の特権はうまくいかないときはすべて他人や環境のせいにできることです……!

思い返せば、あらゆるものがプログラム化される期待が一気に高まった時代でした。「アトムからビットへ―」そんな時流の中で、私自身もパソコン天文シミュレーションの試作をしていたこともあり、「もう光学式プラネタリウムは時代遅れだ!これからはデジタルプラネタリウム(当時はそんな名前も知らなかったけど)の時代だ!!」と、壮大な思い込みを抱くのです。

デジタルプラネタリウムへの挑戦

マイコンで星図シミュレーションするも……

ちょっと話は変わって、懐かしい当時のPC事情から。ちょうどこの頃、日本電気のPC-8001が発売され、「マイコン」ブームが始まっていました。とはいっても、まだまだマニア内でのブームでしたが。

私は当時、プログラマーのバイトで稼いでいたので、プログラミングはお手の物でした。天文計算の世界では、中野主一さんの「マイコン宇宙講座」がバイブル的な存在でした(*2)

(*2) … 中野主一さんが私と同じ学習院大学卒だったのを知ったのは大学4年の頃。研究室でOB名簿を見て初めて気付いたのでした。「本の奥付をちゃんと見ろよ」と当時の私に会ったら言ってあげたいですね。

当時購入し製作に使用したPC-8801
「マイコン宇宙講座」中野主一 著


このときの星図プログラムはBASIC言語で書かれていました。この処理が現在では考えられないほど遅く、ある日時の空を表示するのに30秒くらいかかりました。

上山治貴
上山治貴

俺がもっと速くしてやる!!!(当時)

野心あふれる若者だった私は、そう誓ったのです。

で、どうするか考えました。当時のPCは、クロック周波数が4MHz、メモリは64KBしかありません。BASIC言語だけではいくら工夫しても速くなりませんでした。そして、私の研究が始まります。

高速化の研究

まず、その速さに目をつけたのは、当時アスキーから発売されていた「フライト/ドライブシミュレータ」というPCゲーム(テープアスキー)。この頃、パソコンのメディアはカセットテープで供給されていました。今の若い人は、カセットテープも見たことがないかもしれませんね……。

これが優れモノで、ワイヤーフレーム(*3)ですが、高速でフライトやドライブのシミュレータが可能だったのです。高速とはいっても描画に1秒くらい、つまり1fpsですが、当時としてはむちゃくちゃ速い世界でした。

(*3) … 3次元形状のモデリングやレンダリングの手法のひとつで、立体の辺だけから成るような線の集合で表現するもの

上山治貴
上山治貴

これを天文シミュレーションにうまく使えないか!?当時

―と考えるのが若者の柔軟な発想力!

恒星のデータを球状に配置して、この「フライト/ドライブシミュレータ」に食わせれば、高速の天文シミュレーションが作れるぞ、ということで先輩の力も借りながら開発を進め、大学4年のときに一応の完成となりました。

恒星時の計算などは、中野さんのプログラムがベースですが、「フライト/ドライブシミュレータ」の転用アイディアが功を奏し、描画部分は高速で処理できるようになりました。こうして、1fpsのデジタルプラネタリウムができあがりました。日時や場所を入力すると、あっという間に星空が表示されます。

デジタルプラネタリウムの投影

ついに「デジタルプラネタリウム」のドーム投影を考えます。当時はまだ、PCの画面を投影できるプロジェクターはありませんでした。使えるものといえばPC用のモニターだけです。これをドームに投影するにはどうするか。私はまた、考えました。よーく考えました。ぱっと思いつくのは魚眼レンズですが、これは学生にはとても買えるような代物ではありません。

そして考えついたのが「丸底フラスコに水を満たして、魚眼レンズにする」ということです。なかなか機転の効いたアイディアだと思いませんか?

くぼた
くぼた

なるほど、高価なレンズの代わりに水の屈折を利用するんですね

さて、ここまでの準備を整えてドームで投影を試みました。投影角度としては60度くらいでしたが、なんとドームにデジタルの星が写ったのです……!しかも、1fpsで日周をします。こうして、とりあえず「デジタルプラネタリウム」ができあがったのです。1984年の秋のことでした。

モニターの映像を丸底フラスコを通してドームに投影(イメージ)

ほぼ時を同じくして、アメリカのエバンス・アンド・サザランド社が世界初のデジタルプラネタリウムをリリースしたのが1982年。価格は数億円というもの。そんなことも知らなかった学生が2年遅れで(しょぼいけど)パソコン一式全部で50万円(*4)ほどのコストで、デジタルプラネタリウムを作ったのです。

(*4) … PC-8801が約23万円、フロッピードライブが約18万円、モニターが約8万円

いつかはドームでデジタルプラネタリウムを展開するぞ!と野心を抱いた若者のその後の人生も気になることかと思いますが、それはまた別の話。

上山治貴
上山治貴

(注)すべて40年前のことなので、いろいろ記憶違いがあるかもしれません。どうぞご容赦ください。

タイトルとURLをコピーしました