少し間が空いてしまいましたが、前回は中国の星座名が恒星の固有名として国際天文学連合(IAU)に承認された例を取り上げました。
第1回 導入
第2回 アルファベットからカタカナへ
第3回 固有名の「意味」
第4回 中国由来の固有名
次に紹介したいのは、私の研究者としての専門でもあるインドからのエントリーです。
あまり星の出てこないインド天文学
インドの星座や星について話してください、と言われると、私はいつも考え込んでしまいます。
ギリシアや中国では、星が見えている領域にはほぼもれなく星座を割り当てていました。ところがインドにはこれが当てはまりません。インド亜大陸とその周辺に広まっていた天文学には、私たちの思い浮かべるような「星座体系」が存在しなかったのです。強いて挙げれば、「7人の聖仙(サプタリシ)」と呼ばれた北斗七星、そして後述する「ナクシャトラ」です。
そもそもインドの天文学書を見るとひたすら惑星の話ばかりで、恒星は二の次という印象を受けます。単独の恒星の名前はたまーにしか出てきません。ほぼ「天の北極」と同義語である北極星を除けば、「狩人」などと呼ばれたシリウスと、神話に登場する聖仙にちなんでアガスティヤと呼ばれたカノープスくらいしか思い当たりません。
ではそんなインドの天文から、IAUはどうやって星の名前を選んだのでしょうか?ここで出てくるのがインド版の「星宿」である「ナクシャトラ」です。結論から言うとこのナクシャトラの名前が2つの星に与えられたのですが、これがまた、中国のとき以上に「本当にそれでいいのか」と言いたくなる事情があります。
採択された固有名 | カタカナ表記 | 星座と符号または番号 | 等級 |
---|---|---|---|
Bharani | バラニー | おひつじ座41番星 | 3.61 |
Revati | レーバティー | うお座ζ星 | 5.21 |
星宿については前回解説しましたが、もう一度おさらいしましょう。月は約29日半で満ち欠けしますが、この満ち欠けの周期とは別に、星々の間を巡る周期(つまりある星の近くを通ってから、もう一度その位置へ戻ってくるまでの時間)があり、これはおよそ27.3日となっています。そこで、月が27日か28日かけて移動していくのを知る目印として、27個か28個の星群を選んだのが星宿です。
中国では28個の星宿を定めたわけですが、インドでは紀元前5世紀ごろの時点で27宿の体系と28宿の体系の両方が存在したことが確認できます。しかしその後28番目のナクシャトラは使われなくなり、27宿で固定されました。そして、ここからがややこしいポイントなのですが、それ以来ナクシャトラは恒星から切り離されています。
いわゆる「星座占い」というときの「おひつじ座」等々は星空に輝くおひつじ座などとは別物で、機械的に黄道を12等分したものです(そのため星座と区別するために「おひつじ宮」とか「白羊宮」といった呼び方をすることもあります)。それと同じで、今のインドで「ナクシャトラ」といえば黄道を27等分した区分に他ならないのです。ちなみに現代でもインドでは占星術が人気なのでナクシャトラはよく知られています。
そんなわけで、「バラニー」といえば「おひつじ座41番星を含む3つの星々」、「レーバティー」といえば「うお座ζ星そのもの、あるいはそれを含む32の星々(文献によって違うんです……)」だった時期もあるんですが、今ではそれぞれ「黄経26°40’〜40°」「黄経0°〜13°20’」の区間でしかありません。なおインドの天文では歳差を無視するので、黄経の定義も西洋とは違ったりします。
一応バラニーやレーバティーは元の星群がほぼ確実に同定できるのでいいんですが、ナクシャトラの中には本来どの星だったかを決定できないものもあるほどです。それほどまでに空の星と切り離された名前を恒星につけてもいいのかな、という思いはあります。議論の種になっているナクシャトラの星(中には他国語で固有名が存在しないものもあります)は選ばれてないので、その辺はちゃんと考えてるんだなと感じましたが。
ここまで色々とダメ出ししてしまいましたが、正直言ってレーバティーに関しては、選出を聞いたとき「面白いことやってくれるじゃん」と感じました。レーバティーのうお座ζ星は、現在のナクシャトラが確立した5世紀前後に春分点の目印として使われていたんじゃないか、という説があるんです。前述のとおりインドの天文学者・占星術師たちは黄経を測る際に歳差を無視したので、学派によってはこの星こそが春分点でした。5等級の暗い星ですが、北極星ならぬ「春分星」という大事な役目があったわけですね。
このように、ちょっとだけその分野を勉強した身としては、「よくぞ取り上げてくれた」という嬉しさと「厳密に考えたらそれはどうなの」という疑義が入り交じった気分なのです。もちろん、もっと深くインド天文学や占星術を研究している方、あるいは当のインドの方々はまた違った感想を持つでしょうが(インド人からは歓迎こそすれ嫌がる声を聞いたことはないですが)。
反省としての命名、文化の盗用?
これまでヨーロッパから中東にかけてという(世界全体から見れば)狭い領域のものに限られていた恒星の名前にインドや中国のものが加わり、次回取り上げるオセアニアやアフリカの名前も加わることでたいへん国際的なものになりました。思えば、IAUの発足後間もなく制定された88星座は、ヨーロッパで使われていたものをそのまま採択したというラインナップであり、その点が批判されることも少なからずありました。異文化の星座名が、恒星名という形とはいえ正式に認定されたことには、そうした過去への反省も少なからずあったのかもしれません。
ただ、必ずしも実態と合わない強引な選出をもって「君のところも選んであげたからいいよね」という免罪符にされたのではかないません。惑星科学の分野では、過去にイヌイットやネイティブアメリカン由来の名前を当事者の同意なしで天体の名称や地名に選んだ例があったことを指して「文化の盗用」とまで呼んで批判する声も挙がっています(参照:Planetary Nomenclature and Indigenous Communities [英文、PDF])。
さすがにバラニーやレーバティーの選出が「文化の盗用」だとは思いませんが、インド天文学をリスペクトするなら違う形はなかったのかな、という思いがあります。
今回は私がまがりなりにも関わっていたインド天文学がテーマだったので色々と思うところがありました。次回からは私が全く知識を持たない(のに無謀にもカタカナの読みを定めようとした)オセアニアやアフリカの人々に由来する恒星名を取り上げますが、この視点を持ちながら批判的に考察してみようと思います。