星の名前、決めちゃいました(3)

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犬か猫かで言えば猫派、事業企画部のひろせです。

実家には「ヴェガ」という名前の猫がいます。名付けられて間もないころ、「ベガ」と発音してしまった父に対して母が「ヴゥ゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙ゥ゙ェーガー」と訂正していました。弊社ではこと座の1等星は常に「ベガ」と表記しているのですけどね。まあ第1回でもちらっと触れたように、英語だと「ヴーガ」なんですが。

じゃあ「ヴェガ」という発音はどこから来るのか、と言えば、前回から引き続きご覧の方はもうお察しでしょう。ラテン語です。そして元をたどればアラビア語に由来するというのもこの星に当てはまります。

ベガとアルタイル:アラビア星座のなごり

その元の言葉というのがالنسر الواقع(アン=ナスル・アル=ワーキァ)で、「どこがヴェガなんだ」とお思いになられるかもしれません。どうやら最後のワーキァ(wāqi`)だけが抜き取られ、wがvに(ドイツ語でwが「ヴ」の発音になるなど両者は結構近い音です)、qがgに変化したようです。

さて、ステラナビゲータの天体事典によれば、ベガは「落ちるワシ」という意味です。日本語の書籍やプラネタリウムなどで一番よく耳目に触れるのもこうした解説ではないでしょうか。これは間違いとは言えないんですが、ちょっと気をつけなければいけない表現です。なぜなら、先ほどの「アン=ナスル・アル=ワーキァ」というアラビア語こそが「落ちるワシ」という意味だからです。

なお、個人的には「落ちる」というと飛ぶのがヘタクソなワシみたいに聞こえるので、「降下するワシ」という訳し方が好きです。「降下する」に相当するのがベガになったワーキァ(wāqi`)という形容詞で、ナスル(nasr)は鳥、特にワシやハゲワシを指します。ついでにアル(al、nなど特定の単語の前では発音が変化)は英語で言う the のような言葉で、アラビア語では形容詞の前にもつけるきまりです。

なんでこと座なのにワシなのかというと、元々アラブ人たちの間ではベガを胴体、すぐ近くにある2つの星(こと座ζ星とε星)を翼の先端に見立てたワシの「星座」が存在したからです。3つの星は見る時間帯によって∨にも∧にも見えますが、いずれにせよこれを急降下中、または木に留まって翼を畳んでいるワシに見立てたようです。

さて、現代の私たちにとって「わし座」といえば、ベガ(織女星)と対をなす1等星アルタイル(牽牛星)を含む星座ですが、そのアルタイルもアラブの星座では「ワシ」の一部でした。こちらはわし座β星(アルシャイン)とγ星(タラゼド)を翼の先端とするとほぼ一直線になるので「飛翔するワシ(アン=ナスル・アッ=ターイル)」と見なされました。こちらは「飛翔する」に相当する「アッ=ターイル(al-ṭā’ir)」が「アルタイル」の元になっています。

余談ですが、ギリシアとアラビアの両方で同じ場所にワシの星座があったのは偶然ではありません。元々古代メソポタミアではアルタイルをワシに見立てていたようで、それが紀元前6世紀前後に海を越えてギリシアに伝わったのがわし座、時代を超えてアラビアで受け継がれたのが「飛翔するワシ」アルタイルというわけです。

11月1日の午後9時ごろ、東京の夜空をステラナビゲータ11で再現しました。2匹のワシは西の方向20〜30度の高さを飛んでます。アルタイルを挟む「飛翔するワシ」は多少の光害の中でも翼の先が見えるので、探してみてください。ベガを頂点とする「降下するワシ」は5等星を含むので、難易度高めです。余談ですが、西に沈むときのV字形の方が「降下するときの翼」っぽいと思いませんか?でも、アラビア語の天文書では「ベガを頂点とする三脚のような星の並び」つまり東から昇るときの∧形だと説明して、「木の枝に降りたって翼を下に下げているワシ」と描写していることが多いんですよね。来年の春から夏にかけてはそんな「降下したワシ」が東の空から「昇ってくる」のも観察してみてはいかがでしょう。

ベテルギウス:意味の「復元」の失敗例

閑話休題。

「アン=ナスル・アル=ワーキァ」という言葉で初めて「降下するワシ」という意味になるのに、その一部だけを取り出して発音も大きく変えてしまった「ベガ」が「降下する(落ちる)ワシ」の意味だと言ってもよいのでしょうか。

この問題はオリオン座のベテルギウスについて考えるとさらにややこしくなります(ああ、やっと前回の話につながった)。元々يد الجوزاء(ヤド・アル=ジャウザー / yad al-jauzā’)だったのが、アラビア文字の y と b の誤読から中世ヨーロッパの写本でbedalgeuzeになったという話をしました。「ヤド」はアラビア語で「手」という意味ですが、「ヤ」を「バ(ベ)」に変えてしまったら、「手」の意味が含まれていると言えるのでしょうか?

少なくとも、いったんbedalgeuzeというつづりが広まると、そこに「手」の意味が含まれることは忘れられてしまったようです。ですが、アラビア語に由来する言葉だということは多くの学者が知っていました。そしてルネサンスのころ、元のアラビア語を「復元」しようとする者が現れました。が、本来の語頭が「y」だとは想像できず、星の位置から類推して「腋の下」を意味する bāt というアラビア語だと主張したのでした(正確には「腋の下」を意味するアラビア語はibṭ)。しかし、現代の専門家たちは、そんな単語はアラビア語の星座表には登場しないとしてこの語源を否定しています。

さて、「腋の下」ではなく「手」だとして、誰の手なのでしょうか。「そりゃオリオンの手でしょ」と思ったあなた、残念。

「ヤド・アル=ジャウザー」の「ジャウザー」はギリシアから「オリオン座」が伝わる以前に存在したアラブ独自の星座名で、何らかの人物を指すとされています。単語の形から言うと女性名詞なのですが、ジャウザーが女性だったのか男性だったのかすら定かではありません。また、星座としてのジャウザーがどの範囲だったかも諸説あり、「ヤド・アル=ジャウザー(ジャウザーの手)」という名前が指すように、手先がベテルギウスまでしか届かないほど小さかったと考えられますし、一方ではふたご座が「ジャウザー」と呼ばれることもあるのでとてつもなく大きかったという見方もあります。

いずれにしてもジャウザーとオリオンは「別人」です。『アルマゲスト』がアラビア語訳されたとき、オリオン座は「巨人」を意味する「アル=ジャッバル」と翻訳されました。アラビアで「ジャウザー」と「ジャッバル」が使い分けられたことを踏まえると、「ジャウザー」を「巨人」と訳してしまうのは不適切と言えるでしょう。ですので「ヤド・アル=ジャウザー」は「巨人の手」ではなく「ジャウザーの手」と訳すしかないのです。

以上を踏まえると、「ベテルギウスはどういう意味か」という質問に答えるのは非常に難しいことが分かりますね。「巨人の腋の下」は論外だとしても、「ベテルギウス」という大きく変形した言葉を「ヤド・アル=ジャウザー」と同一視して「ジャウザーの手」と言い切ってしまうのも躊躇してしまいます。……ステラナビゲータの天体事典では、仕方ないので「ジャウザーの手」という訳語だけを載せているのですけどね。

ズベンエシャマリ:意味を手がかりに、(少しでも)正しい表記を

以上、星の名前は意味も考えるとさらに面倒だという話でした。ベガやベテルギウスはちょっと極端な例かもしれませんが、「名前の意味」の裏には多かれ少なかれこうした背景があるのだと知っておいて損はないはずです。

では、この問題は恒星の固有名のアルファベットをカタカナに直すときにどう関わってくるのでしょうか? 極力、本来の意味と発音がかけ離れることがないようにするべきだ、という結論になりそうですね。もちろん、すでに見たとおり、元がアラビア語だったとしてもラテン語を経て現在のアルファベットつづりがあるのですから、ラテン語(およびヨーロッパ諸語)での発音からは逸脱できないのですが、それでも迷ったときや判断が分かれたときの基準になります。

てんびん座β星の固有名は Zubeneschamali です。これをステラナビゲータ10までは「ズベンエスカマリ」と読んでましたが、最新のステラナビゲータ11で「ズベンエシャマリ」に変えました。テスター募集中の新感覚星空アプリ「星空ナビ」でも「ズベンエシャマリ」を採用してます。

元々はアラビア語のّالزبانا الشمالي(アッ=ズバーナー・アッ=シャマーリー / al-zubānā al-shamālī)、「北のハサミ」という言葉が由来で、「北」を意味する「シャマーリー」がラテン文字でschamaliになったのです。schというつづりは「スク」とも「シュ」とも読みうるので、「ズベンエスカマリ」と「ズベンエシャマリ」という2通りの読み方ができたわけですが、意味を考えれば後者の方が良いと判断できます。なお、英語でもZubeneschamaliは「ズベンエシャマリ」と発音されています。

なんでてんびん座に「ハサミ」があるのかと言いますと、古代メソポタミアでは元々ここも「さそり座」の一部だったからです。てんびん座が独立してからもここの星は「ハサミ」と呼ばれることが多く、プトレマイオスの『アルマゲスト』とそれを翻訳したイスラム文化圏の書籍でも「ハサミ」の呼称が受け継がれ、星の固有名に残されました。

もちろん、たとえ誤読でも、それが広く定着して「誰もが知っている」レベルであれば今さら変えるのは得策ではありません。日本における「ズベンエスカマリ」も用例は「ズベンエシャマリ」と比べて圧倒的に多く、私も変更を提案するのには躊躇しました。この星が1等星で、頻繁に言及される存在だったなら絶対に直さなかったでしょう。しかし3等星(2.61等)なのでまだ直す余地があるかな、と判断し、修正に踏み切ったのです。


さて、ここまではアラビア語に由来してラテン語経由で現代に残された恒星の固有名について解説してきました。国際天文学連合(IAU)が星の名前を正式に決める前、慣例に基づいて固有名を選んでいたころは、こうしたアラビア語由来の名称が多数派でした。しかし、IAUが採用した恒星名には全く別の言語に由来するものが多数登場します。次回からはその辺りの事情を紹介しつつ、新たに発生した問題についても解説したいと思います。

星の名前が本来の形と意味からどんどんかけ離れていく例を紹介しましたが、いかが感じられたでしょうか。文化を正確に伝えるというのは難しいものです。
さて、11月5日に発売される星ナビ2020年12月号には私が執筆した「作られた古代インドの宇宙観」という記事が掲載されます。この中でも誤解と情報不足から私たちの過去に関する知識がゆがめられてしまった例を紹介しています。是非この記事とあわせて読んでいただければと思います。

<主な参照文献>
Kunitzsch, Paul and Smart, Tim, A Dictionary of Modern Star Names, Second revised version, Sky Publishing, 2007

近藤二郎『星の名前のはじまり』誠文堂新光社、2012
IAU(国際天文学連合):Naming Stars https://www.iau.org/public/themes/naming_stars/

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